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はじめに

ドウデュースという馬が引退する。

多少なり競馬を知っている人にとっては、言わずと知れたスーパースターだ。私は競馬を追いかけ始めて間もない新参のファンであるから、一頭の競走馬生を最初から最後まで見届けたことすらない。それでも、これほどまでに私を夢中にさせる馬は、今後何頭現れるだろうかと考えると、ドウデュースは格別の存在であると思う。彼がレースに出るからと私を淀から中山まで引き摺り回し、そして何よりこんな文章まで書かせたのだから。

彼がターフを駆けた3年間、私は本当に楽しかった。彼がレースに出走する週は、ソワソワして仕方がなかった。彼が勝った時は、ガタガタ手が震えて何度も叫んだ。彼が負けた時は、悲しくて悲しくて仕方がなかった。それまでどんなスポーツを見ても感じたことのない感覚だった。そんな彼の競走馬としての旅が今日、終わるのだ。ドウデュースという馬について、書かねばなるまいと思った。

皐月賞で君を知るまでのこと

正直に言えば、私が君のことを知ったのは2022年皐月賞の頃である。私がたまに競馬を見るようになったのが2020年の末ごろから2021年にかけてで、この頃の競馬の記憶はほとんどない。せいぜい、コントレイルという三冠馬がいたこと、エフフォーリアがすごい馬だということ、その程度である。だから、ドウデュースの初G1勝利である朝日杯をリアルタイムでは見ていない。もしかしたら見たのかもしれないが、記憶に残っていないので、私にとってはその程度の存在だったということだ。だからこそ、皐月賞での目の覚めるような末脚を見て「ダービーはこの馬だ」と確信した。競馬歴1年程度の(しかもごくごく軽い)人間による根拠のない確信だった。

ダービーと「馬券」

日本ダービー!言わずと知れた、日本最高峰のレースであろう。ドウデュースの勝ち鞍から一つ選べと言われたら、さんざん悩んだ末に日本ダービーを挙げるだろう。しかし残念なことに、私はこのレースを現地で見ていない。新型コロナウイルスの影響が収まって入場制限が大きく緩和され、私自身当時東京に住んでいた。もうおあつらえ向きに状況がそろっていたのにもかかわらず、私は行かなかった。嗚呼、あまりにも愚かな決断である。今やドウデュースのためだけに数百kmを行き来するのだから、こんなにもったいないことはない。しかしまだ私は、競馬場へ行くまでの心構えとモチベーションがそろっていなかったのだ。普通の感覚からすれば、ただの賭場に行くか行かないかで何を大げさな、という印象であろう。しかし私にとっては重大で、勘案すべき事情があったのだ。それは、「ギャンブルは基本的にするべきではない」という信念であった。

ドウデュースがダービーを勝った頃、実は私はまだ馬券を一度も買っていなかった。競馬を見始めた頃、どうしても馬券を買う自分が想像できなかったのだ。私はギャンブルが好きではない。いや正確に言えば、ギャンブルに飲み込まれる自らの弱さを認識しているからこそ、あえてギャンブルに手をつけたくないのだ。

ドウデュースが府中の最終直線で鞭が一発入ったとき、ガタガタ震えて胸に込み上げる何かがあった。振り返ってみれば、これは勿体無い感情だったと思う。予想という未来図を描き、枠順発表の一喜一憂、パドックでの品定め、そしてたった2分のドラマ。その結晶が、馬券だと今は考えている。馬券という自身の「決断」が伴っていれば、このダービーの高揚を、さらに何倍にも押し上げてくれただろうと、今になって思う。

結果的に、私は初めて馬券を買うのに、競馬を見始めてから半年以上かけたことになる。競馬をやる人からすれば、こんなものは競馬をやっていた内に入らないと一蹴するだろう。だが、私にとってはかけがえのない助走期間だったと思う。ギャンブル以外の競馬の要素を慎重に重ね合わせて、最後に最も重要なギャンブルという1ピースを当てはめる経験は、何者にも代え難いものだったと思う。ドウデュースのダービーは、それを私に教えてくれたのだった。

挫折はたとえ想像できても受け入れられない

ニエル賞で見せ場なく4着に敗れた時点で、なんとなく想像はしていた。彼の走りをじっくり見ていると、いつものような柔らかく動く前脚がぎこちなく、とても走りにくそうだったのが素人目にもはっきりわかった。これが「馬場が合わない」というやつか。

でも私は、ドウデュースが凱旋門賞で負けるところを見るためにテレビをつけたわけではなかった。私にしては珍しく、フランスへ届くはずもない声援を画面に向かって叫んでいた。結果は、考え得る中で最悪の結果、19着だった。負けることは半ばわかりきったようなものだったが、まるで自分の挫折かのように深く落ち込んだ。理性と感情が乖離したところに、ドラマがある。勝っても負けてもそれは同じことだ。

もう一頭のヒーロー

ドウデュースほどではないが、私が目を奪われていたヒーローがもう一頭いたことを記したい。菊花賞馬タイトルホルダーである。彼もまた凱旋門賞に出走して敗れたが、一時は逃げ馬として先頭に立ち、負けても存在感を示していた。

そもそも私は菊花賞馬をひいきしがちな傾向があるが、これは現代の競馬の傾向に逆らったものである。競馬初心者の私でも、明らかに長距離レースの出走頭数が減っていることはわかる。3歳馬はクラシック三冠に挑戦することが最大の栄誉だが、今は皐月賞やダービーでよい成績を残したとしても、長距離の菊花賞を回避して斤量有利を狙い天皇賞・秋を狙うことが多い。長距離戦こそ騎手が馬を首尾よく制御して最後の脚を溜める、まさに人馬一体の競馬という競技にふさわしいと思うのだが。もちろん、馬にとってリスクの高い長距離をできるだけ走らせたくない気持ちはわかる。だからこそ菊花賞に出てくる馬が好きなのだ。

そして、なかでもタイトルホルダーは特別だった。脚質が逃げというだけでも目立つのに、長距離戦の最終直線でもばてずに力強く走り続けるその様が、素直に格好良かった。だから、3月25日の日経賞でタイトルホルダーが見せた圧巻の走りは、その一か月前の京都記念で勝ったドウデュースと重なった。両方とも凱旋門賞後の初めての勝利で、彼らの心がくじけていないことを確認できたことが何よりの収穫だった。何の根拠もないが、日経賞と同日にドバイターフで走るドウデュースには追い風のように見えた。

しかし、ドウデュースは医師の診断で出走することすら叶わなかった。そしてこれまた同じ日にドバイシーマクラシックで勝ったイクイノックスの存在が、私の心をさらにざわつかせた。

見て見ぬふりをしていた輝き

イクイノックスも言わずと知れた競馬界のスーパースターであり、そしてドウデュースと同期の馬である。彼はドウデュースより1年早く引退してしまったが、思い返せばドウデュースとイクイノックスは真逆の存在だった。ドウデュースが疲れを見せず軽快にポンポンとレースに出走する一方、イクイノックスは大事に大事に扱われており、ドウデュースが彼を下したダービーまで、自身はたったの4戦しかしていなかった。この後ドウデュースはフランスへ行き、イクイノックスは天皇賞へと向かった。あの語り草となった大逃げをかましたパンサラッサを、十何馬身と後ろからイクイノックスが差し切ったあの天皇賞である。結局この後、イクイノックスはドバイに行っても仁川に行っても負けなかった。京都記念に勝ったとはいえ、凱旋門賞に大敗しドバイターフには出走すら叶わなかったドウデュースと比べると、差は歴然としていた。それでも我々ファンは、直接対決による決着を見たがった。何しろあのどこに行っても強いイクイノックスを、大舞台日本ダービーで退けた馬なのだから。

あの日。2024年の天皇賞当日のこと。 死ぬまで忘れることはないだろうあの日。 新馬戦からドウデュースに乗り続けた武豊が、同日の新馬戦で馬に蹴られて負傷し、乗り替わりになってしまったのだ。あれはちょうど観戦場所を移動するためにメインスタンドを横切っているとき、ふとターフビジョンを見上げてそれを知った。頭が真っ白になって、いろんなことを考えた。ドウデュースは武豊のために用意されたような馬なのに。馬柱に武豊以外の名前が乗るのか。武豊以外にコントロールできるのか。勝ったとして素直に喜んでいいのか。最低なエゴも含まれたその心を、すべて一思いに飲み込んで叫んだ。もうドウデュースが勝って欲しいのか負けて欲しいのかすらわからないままに。

私の歪んだ叫びをイクイノックスは走りで全てかき消してしまった。もうその後のことは全く覚えていない。そのまま残って表彰式を見たのか、それとも気落ちしたままに帰ってしまったのか、どこをどうやって帰ったのか。初めてのドウデュース生観戦は、苦い苦い思い出だけを残した。

「気持ちに整理がついた」そんなことをジャパンカップの頃に言っていた記憶があるが、今振り返るとそんなわけがない。天皇賞の時はあんなに意気揚々と東京競馬場へ向かっていたのに、ジャパンカップでは足が向かなかった。言い訳のようにドウデュースの馬券をネットで買ったが、結果は天皇賞とほとんど変わらなかった。ドウデュースとイクイノックスの間には、もはや残酷なほどに差がついていた。

「ドウデュース」という物語の確立

薄情なことだが、有馬記念でドウデュースが勝利しなければ私はもう彼から心が離れてしまったかもしれない。それほどまでに私は全てをここにかけていた。冬の中山競馬場のゴール前で凍えながらドウデュースを待っていた。鞍上は、ついに怪我から帰ってきた武豊。しかし一つだけ心残りがあったのが、イクイノックスの不在だ。同期の彼は一足先に引退し、ついに彼への「逆襲」の機会は永遠に失われてしまった。私は競技は違うものの、世界耐久選手権(WEC)のトヨタチームのことを思い出していた。2014年にポルシェが16年ぶりに参戦し、結局撤退する2017年まで何度も快勝してそのまま去ってしまったのだが、トヨタは後一歩のところで優勝を逃したりと苦戦を強いられていた。同じ頃強敵だったアウディも撤退し、その次の年にトヨタが優勝したが、しかしポルシェもアウディもいないWECは心にしこりを残した。話を競馬に戻そう。イクイノックスがもういないこの有馬記念で、ドウデュースが勝ったからと言って何だというのか。そんな感情を押し殺しながらドウデュースを待っていた。

道中からして過去の二戦とは様相が違った。これが引退レースであるタイトルホルダーが、「これが最後だ」と言わんばかりの逃げをかまし、他の馬がそれに続く。ドウデュースは道中ずっと後方を進んでいた。脳裏に浮かぶのは、あの後方待機から最終直線で全てを差し切った日本ダービーだった。有馬記念のいいところは、正面スタンド前を2回通るので道中の馬を応援できるところだ。私は後方にいるドウデュースを見て、「いける、いける、いける!」そんな声をあげていた。最終コーナーに差し掛かった時、外からやってくるドウデュースをターフビジョンでチラリと見たときに、言葉にし難い高揚が湧き上がってきた。そしてドウデュースは私の目の前でタイトルホルダーを差し切り、ついに、ついに一着でゴールインした。

ドウデュースはイクイノックスがいなかったから勝てたのだろうか?イクイノックスならば先行し、あの異常な体力で馬群を抜け出し、後ろからやってくるドウデュースなど相手にしなかったのだろうか?しかしイクイノックスは出走しなかった、ただそれだけのことだ。もう話はそれで終わりなのだ。しかし競馬は、競馬場の外にも世界が広がっている。このレースに限らず、「夢の第11レース」「最強馬論争」の想像を止める人は誰にもいない。「イクイノックスは有馬記念で、武豊を載せたドウデュースを振り切れたのか」は答えがない問いだ。

ドウデュースは人々の心に、たくさんの「もしも」を残した。ドウデュースはこの有馬記念を以て、一介の競走馬を超えて「物語」となったのだ。

何があっても信じ切ることの美しさ

ドウデュースは何度でも私の心をかき乱す。あの有馬記念の復活があってなお、2024年の上半期は絶好調とはいいがたかったのだ。去年は出走すら叶わなかったドバイターフのリベンジは、馬群に包まれて5着。宝塚記念は馬場の悪い内を上手く突くことができず6着。しかし私の心は、もう去年のように揺るがなかった。「運がなかった」とか、言い訳をする必要はもうないと思ったのだ。

もちろん落ち込んだが、ドウデュースはきっとまたやってくれる。有馬記念で学んだことだ。負けても負けても信じ切ることは美しい。と言って私の場合「ドウデュースなどという押しも押されもせぬ大名馬を以て何を抜かすか」という感じだが、私にとっては揺るがない事実だ。

苦渋の決断と、そして

思えば、2024年の初め、ドウデュースがもう一度凱旋門賞に行くことを否定する声はずっと少なかったろう。もちろん2022年の惨敗から適性を疑う声は多かったが、メディアから漏れ聞こえてくる陣営の声、そして何よりあの有馬記念ジョッキーカメラでの武豊の「フランス行こう!」という言葉が、私たちの思いを過熱させていた。しかしこの秋、彼は凱旋門賞に行かなかった。もはや想像でしかないが、多くの人の脳裏にはあの重馬場の宝塚記念での惨敗が浮かんだことだろう。当然の決断だったとしても、苦しいものは苦しい。きっとドウデュースが日本競馬の新たな扉を切り開くと信じてここまで応援してきたのだから。

彼が最後のレースに秋古馬三冠を選んだその日、私は住まいを変えて東京から遠く離れた場所に住んでいたが、もう東京に行く準備を整え始めていた。彼の最後の勇姿を撮るためにカメラを買った。指定席を取るためにJRAのカードを契約した。指定席が取れなかった時、芝生に座るためのクッションを買った。全て、全てドウデュースのためだった。こんなに誰かに強い思いを抱いて準備した経験はこれまでになかったので、自分でもとても不思議な感覚だった。 最後にドウデュースが与えてくれる全てを全身で受け止めようと思ったのだ。

ドウデュースは天皇賞とジャパンカップで、溜まった鬱憤を晴らすかのように、これまでで最もドウデュースらしく走った。天皇賞では最後方から日本ダービーを思い出させる、いやそれ以上の末脚を使って全てを差し切った。ジャパンカップではあの有馬記念の如くコーナーから捲って上がり、あの有馬記念を超えるロングスパートを見せてくれた。競馬が終わってから届く、松島オーナーが放心状態になっている姿も、ドウデュースがカイバを完食した報告も、その全てがドウデュースの物語を補強していくようで嬉しかった。インターネットで何度も「ドウデュース」と検索して、ニュース記事や個人の愛に溢れた言葉を眺めるのがとても好きだった。ドウデュースの引退までの道のりを、一つ一つ噛み締めるように。

物語の終わり

終わりはその時、突然に訪れた。引退レースである有馬記念の枠順抽選会を終え、さてドウデュースはこの有力馬に挟まれた1枠2番という位置からどうやってレースを進めるのか、ずっと考えていた。そんな中に飛び込んだ「ドウデュース出走取り消し」というニュース。

誤報を疑った。

20年ぶりの秋古馬三冠も。新馬からの三連勝と引退までの三連勝によるシンメトリーも。G1 6勝でイクイノックスと並ぶシナリオも。あるいは、王者の交代を知らしめるドウデュースの敗北も。全て無駄な想像になった。

いま、ドウデュースにかけられる言葉はみな美しい。

有馬記念の前に跛行が見つかって良かった。
断念したのは英断だった。
きっと産駒がまた暮れの中山を走るだろう。

全て、一点の曇りもない正論だ。ドウデュースはまだ未来のある馬だ。ここで無理をすれば、さらなる悲惨が待っているに違いない。

しかし、私は堪えられない。だから、あえて汚らしく、欲望を世界の隅っこで叫ぼうと思う。

20年ぶりの秋古馬三冠挑戦が見たかった!
栄光のラストランが見たかった!
武豊のガッツポーズが見たかった!

夢は、全て夢のままで終わった。

おわりに

ドウデュースには、たくさんのことを教えられた。

スーパースターの条件。
馬券を買うことの重み。
競馬が綴る物語。
終わりは予定調和ではいかないこと。

ありがとう。

さよなら。